書評『ハチはなぜ大量死したのか』

数年前に世界中でハチが大量死しているとニュースを見たことがある人は多いだろう。僕自身も、ウェブサイトだったかニュースだったか、新聞だったかで見た記憶がある。アメリカの大農場で困ったことになっていると騒いでいた。その時はふーんと思って、そのまま情報は頭の後ろのほうに流れていった。
先日、たまたま成毛眞氏のブログに紹介されていて、読んでみようという気になり、町の図書館にリクエストしたら仕入れてくれたので、読んでみた。結論から言うと、とても面白い。まず構成が素晴らしい。つまりズルズルと引きずり込まれて気がつくと読み終わっていた。
2007年春までに北半球から4分の一のハチが消えたのである。人間社会でいうと、15億人くらいが死んでしまった。それくらいインパクトのある話である。たかがハチと思うなかれ。ハチほど農業に密接している昆虫もいないだろう。食卓にならぶ多くの果物や野菜はハチがいてこそ、受粉して人が食べられるようになる。ハチなしの農業なんて考えられないのだ。
ハチの大量死(CCD)は、残念ながら単一の原因で発生しているわけではない。単一の原因であれば、それを排除すればいいだけなのだが、原因は複雑でかつ致命的である。なぜ致命的なのか。それは現代の効率至上主義的な社会を否定するものだからである。
効率がいいというのは、20世紀における企業経営の最高の褒め言葉のひとつだろうけど、効率がいいというのは、最終的に決して効率がいいことではないよ(?)というのが本書の大きなメッセージなのだと思う。
CCDの原因のひとつとして、カリフォルニア州のアーモンド畑とミツバチの蜜月関係が書かれている。ここには3000平方キロメートルといっても想像がつかないが、鳥取県よりちょっと小さいくらい、茨城県の半分くらいの面積のアーモンド畑がある。アーモンドはミツバチを媒介にして受粉する。ミツバチなしではアーモンド畑は何も生産ができない。カリフォルニア州には3000平方キロメートルの広大な畑をカバーするほどのミツバチはもちろんいない。だから全米の養蜂家たちが巣箱をもってカリフォルニアに訪れ、ミツバチたちは来る日も来る日もアーモンドの花粉を運び、アーモンドの花の蜜を集めつづける。人間も同じものばかり食べ続けると、栄養が偏り、不健康になるのと同じで、ミツバチも同じものばかりを摂取しつづけると、健康を害する。
ミツバチが花粉を媒介するのは、アーモンドだけではない。うちの農園でも育てているキュウリ、ズッキーニ、カボチャなどのウリ科植物はミツバチなしでは実をつけない(中国の四川省では、すでにミツバチがほとんどいなくなってしまったので、数千人の労働者が梨の木にしがみつき、ミツバチの代わりに受粉作業を人工的に行なっている)。
現在、TPPの議論のなかで、農業の効率化が叫ばれているが、その論者たちが言っているのは、カリフォルニア州のアーモンド畑のように単作で、同じようなものを大量につくることによってコストを下げ、結果として生態系をぶち壊し、受粉を行うために人がいちいち花粉を棒の先っぽにつけて、日がな一日歩きまわることを指しているのだろうか。
それでも効率的だと言えるのだろうか。効率は時間軸をどう取るかでまるで違ってくる。短期的には効率がいいというのは結局何かを犠牲にしているということなのではないだろうか。(ちなみに僕はTPPは締結したほうがいいと思っている。これについては、また今度書きます。)
現在、生態系はものすごい勢いで壊れかけている(何十年も前から言われていることだけど)。しかし、現在は生態系が壊れていることによって、僕達の生活は致命的なダメージを受けていない。CCDが僕達に突きつけた問題は、この世界の脆弱性である。たかが"ハチ"がいなくなることですら、農業というのは立ち行かなくなってしまう。
著者は、解決策として有機的な養蜂、有機農業の推進を挙げているが、それだけで生態系が回復するというのはあまりに楽観的すぎる。70億という人口、減り続ける化石資源。明るい未来をデザインすることは、難しすぎる課題である。
(耕平)