考えない

先日、僕の師匠が師匠と仰ぐ、日本有機農業会のスーパースター、小祝正明氏の勉強会に参加してきました。

彼の有機農業の理論は、非常に明快でわかりやすいのです。

植物の生理がどうなっているか?

それをどうサポートすればよい結果を得られるのか?

一番ベーシックな部分から理論がスタートしているので、応用範囲が広く、或る程度理論に習熟すれば、演繹的に答えがみつけられるようになるのが魅力です。農業の理論のほとんどが帰納法的というか、経験則的なものなので、農業の経験日数イコール技術力になってしまいます。しかし、それでは僕のような
新規就農者には、とても厳しい。3年たって、まともな作物ができないようであれば、農業から撤退しなくてはならないで
しょう。

演繹的な理論があれば、努力次第でいくらでも技術力を高めることができます。こういう理論体系があったので、農業への参入障壁はだいぶ低くなったのではないかと感じます。少なくとも技術という点においては。

勉強会のほとんどは、有機農業の理論と実際みたいな話だったのですが、最後のほうは、日本の農業の現状についてのお話がありました。

その中でいくつかのご紹介。

■日本で食糧消費額のうち、日本の農家の所得分は9%。つまり金額ベースの自給率が9%くらいというお話。

残りは91%は、外国産のものだったり、外国から輸入してきた食材を日本製といって売っていたり、ほとんど外国産の飼料で育てた牛、豚、にわとり
だったり、加工業者がとっている加工賃だったり。カロリーベースでは40%前後だが、これは米の果たしている役割が大きい。日本製とうたっている食糧も、原料は外国産であることが多い。

■農業従事者のうち、40歳以下は2%。そして65歳以上が60%。とどめ的には40歳、50歳の農家の半分くらいは兼業農家。つまり10年後の農業人口はいまの半分以下になるかもというお話。

こんな話を聞くと、ついつい「あー、日本の農業とか食糧事情ってほんと駄目だな。なんとかしないと!」なんて考えてしまいますが、まあそんな1億3000万人の食糧事情に思いを巡らしても、たいした解決策はでてこないので、考えない事にしています。

じゃあ、何を考えるかというと、嫁さんを食わしていく事であり、両親や兄弟の食べ物を用意することであり、友達の家庭のお野菜を用意することであ
り、将来ぼくたちの農場から野菜や、お米を買ってくれるせいぜい100人から200人のお客さんの胃袋をみたすことに関してです。それに関しては、ものす
ごく真剣に考えます。

産業革命が進み、車で100キロのスピードで移動して、携帯電話でいつでも誰とでもコンタクトがとれ、インターネットで世界中の情報を格安で入手
できるようになり、数万円のお金をだせば世界中どこへでも飛行機でいけるようになって、人間は実質以上に自分たちを過大評価してしまうようになったのじゃないかと思います。

過剰な設備投資をしないで、人も雇わずに農業をしようとおもったら、できる面積なんてせいぜい6000坪くらいでしょう(野菜農家の場合ね)。

その面積で、食わしていける人の数なんてたかが知れています。

それ以上やろうとおもったら、結局人をやとい、機械にお金を投資して、同じものを大量につくることによって、生産性を高めて、現場からドンドン離
れていってマネージメントに専念して、農作物がお金にしか見えなくなって、農業がつまらんくなってきて、偽装でも何でもするようになるでしょう。

食糧の偽装問題は、誰かがそれを食べる事をイメージできなくなってしまったということに尽きると思うのです。

人間の能力なんて、たかがしれているのに、それを超えようとすると、必ず歪みができてきます。レバレッジだの、アウトソーシングだのMBA的ビジネス用語なんて、既に僕の脳みそにはありません。

そんなわけで、僕は日本の自給率が悪いとか、世界の食糧事情に頭を悩ませません。そのぶん、家族や友達のこと、自分にできることをいっぱい考えます。